被災者卒業
今日は案の定、どこのTV局もひたすら震災特番でしたね。
宮城県民ではありますが、改めて被害の大きさを思い知らされました。
14:46、海に向かって黙祷していたら、去年のことがまさに走馬灯の様に思い出されて、涙が止まりませんでした。
ここ1ヶ月くらい、毎日毎日1年前のことが思い出されて、また何か起きるんじゃないかと苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。
自分は誰も亡くしてないし、家も床上浸水とは言え、残った。
失ったものは、微々たるもの。
それなのにこんなに落ち込んでしまう自分が情けない。
もっと頑張らないといけない。
いつの間にか外は雪になっていました。昨年の夜は停電で真っ暗で、星空が怖いくらいきれいでした。そして寒かった。でも今日のほうが寒いかな。今日みたいな天気じゃなかったのが救いかも。
去年の今頃は、仙台から3時間かけて被災を逃れたクルマを置いていた駐車場にたどり着いて、残り少ないガソリンを温存しようとエンジンをかけたり切ったりを繰り返しながら、状況を理解しようとカーナビでTVを見ていました。それでも状況を飲み込むことができず、余震で朝までずっとクルマを揺すられ、静かにパニックに陥っていた気がします。時間の感覚がおかしくなって、もうこのまま朝が来ないんじゃないかとも思っていました。当然一睡も出来ませんでした。
でも朝は来て、次の日も来て、そして気がつくと1年経っていました。
改めて、「当たり前」のありがたさを実感しました。
電気がつく、水が出る、食料が手に入る、家族がいる、そして朝起きて電車に乗って会社に行く、仕事がある。
仕事は辛いけど、がんばらないと。
なんかめちゃくちゃな文章だけど、これで震災に関することをここに書くのは終わりにしようと思う。
私は今日で「被災者」は卒業しないとね。
東北(日本?)にとって特別な1日が終わろうとしています。
あの時が近づいてくる
曜日で言うと、1年前の今日は東日本大震災の前震だったのでしょうか、お昼前くらいに震度5強くらいの地震があった日です。
(とうとう宮城県沖が来たか)と思って身構えたら、大したことなくて拍子抜けした覚えがあります。
私はこの時期、毎年同じような仕事をしているのですが、今日もあの時と同じ仕事(同じお客さんの相手)をしていました。あの時は電話で話していたら揺れだして、「こっち揺れてますけどそちらは大丈夫ですか?」「揺れてますね〜、で、××の件なんですけど」「(えーいったんやめない?)はあ…」ってな感じで結局揺れている間ずっと仕事の話をしていました。
まさかこの翌々日にあんなことが起きるとは夢にも思いませんでした。
なんか明後日の金曜日、同じことが起きそうで(起きるわけがないんだけど)、怖くてしょうがありません。
なにかあると、「昨年の今頃は…」とばかり考えてしまいます。
高い勉強代…
最近ツイートの引用ばかりでサボっちょりました。
一応生きてますが、例によって1月〜3月はRumbaにとって毎年生きた心地がしない期間でして、鼓動がいつもの3倍くらい大きく聞こえる気がします。24時間、とは言わないけど、起きてる間は心臓わしづかみにされてる気分。
さて仙台でも大雪が降った昨日2/25、相変わらずヘルニア術後の定期検査に通っているわけですが、よりによってその日にあたってしまい、しぶしぶクルマを出しました。
予約時間ぎりぎりだったので、雪かきをテキトーにしてしまった(屋根の上の雪を残してしまった)のが運の尽き。
病院が終わって帰宅中、前の車が信号で急停止し、車間はあけていたもののちょっと焦って若干強めにブレーキを踏んだところ、ブレーキの勢いでわっしわっし動いていたワイパーの上に屋根の雪がドスンと直撃…。
なんとか信号停止中に雪はよけたものの、その後ワイパーが挙動不審になってしまい、動くことは動くのですが、普通の動き(一番ゆっくりした動き)ができなくなり(その次と次の次は大丈夫)、ピンポイントで動かすと、スイッチ切った途端に止まるからフロントウィンドウのどまんなかで止まったりするようになってしまいました…。
あわててその足でホンダに駆け込んで見てもらったところ、ワイパーのモーター内のスイッチ故障とのことで修理費は部品と工賃込みで\26,000!!orz
でも、その日は部品がないとの事だったので、今度の車検(7月w)の時にあわせて直してもらうこととし、当面はだましだまし乗ることにしました。ごめんね、フィットちゃん…(´;ω;`)
教訓。クルマの屋根の雪はちゃんと下ろしましょう(´;ω;`)